遠く儚い道〈曼珠沙華〉 [■Recital]
Doll face / Stewart
GONSHAN
GONSHAN
何本か。
地には七本
血のやうに
血のやうに、ちやうど、
あの児の歳の数。
* * * * * *
今日は…
日本歌曲から絶対に1曲は選ぼうと
思っている曲で…
これもすご~くドラマティックな曲なの~
「赤とんぼ」・「犬吠埼のたんぽぽ」より
忘れてはいけないこの曲…
それこそ
『曼珠沙華<ひがんばな>』
なの~~っ!!
20130417_Yumeji_Takehisa 13 /
sorarium
ここで少し曲の背景について
お話ししておくわ~
この曲は北原白秋の詩「AIYANの歌」に
山田耕筰が作曲したものなの~
「AIYANの歌」は5つの詩からなる5部作で
『曼珠沙華』は4番目の「Ⅳ」となっているわ
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(Wikipediaより)
山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、
1886年(明治19年6月9日 - 1965年(昭和40年)
12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。
山田 耕作としても知られる。
東京府東京市本郷(現在の東京都文京区)の医師
でキリスト教伝道者の父の下に生まれる。1896年
10歳の時に実父を亡くす。姉の夫のエドワード・
ガントレットに西洋音楽の手ほどきをうける。14
歳のとき、関西学院中学部に転校。
同本科中退を経て1904年東京音楽学校予科入学、
1908年東京音楽学校(後の東京藝術大学)声楽科
を卒業。
1910年(明治43年)から3年間、三菱財閥の総帥
岩崎小弥太の援助を受けてドイツ・ベルリン音楽
学校(現在のベルリン芸術大学)作曲科に留学し、
マックス・ブルッフなどに学ぶ。日本語の抑揚を
活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本
初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の
普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー
・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フ
ィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィ
ルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的に
も活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音
楽家でもある。
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GONSHAN
GONSHAN
何処へゆく。
赤い御墓の
曼珠沙華、
曼珠沙華、けふも
手折りに来たわいな。
GONSHAN
GONSHAN
何本か。
地には七本
血のやうに
血のやうに、ちやうど、
あの児の歳の数。
GONSHAN
GONSHAN
気をつけな。
ひとつ摘んでも
日は眞晝日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
曼珠沙華 /
GONSHAN
GONSHAN
何故泣くろ。
何時まで取っても曼珠沙華
曼珠沙華
恐や赫しや、
まだ七つ
(GONSHAN:良家の娘、柳川方言)
こっ…
これは~~っ
……
どういうことなの!?
Scary Japanese doll /
「GONSHAN」が
良家の娘だとして…
そこにはお墓があるのよ…
そこに…彼岸花が咲いていて
毎日摘みにいくのよね!?
Japanese doll /
それが何本かと言うと
七本なの~
血のような彼岸花を
摘むのは七本……
それは「あの娘」の
年の数なのよ~~
彼岸花が真昼には
次から次から咲いていくの~~
曼珠沙華 / skasamatsu
GONSHANはいつも泣いているわ
どんだけとっても
いつまでとっても
曼珠沙華は
……
曼珠沙華は
怖くて
赤くて…
また七つ咲いているのよ
さてさて…
その歌い方なんだけど…
このあと…問題の文献を
ご紹介するんだけれど…
山田耕作先生のご指摘の
そのおどろおどろしさと言ったら
他に例をみないほどなの…。
普通じゃないの
普通にキレイに歌っちゃだめなのよっ
だから…だからこそ
かの…山田耕筰が求めているわ
あたしに歌ってほしいって
うふふ♡
彼岸花 / Shoichi Masuhara
中沢 桂 「曼珠沙華」
曼珠沙華 ひがんばな 山田耕筰 峰岸夏子
そうそう…
ここにAYAKO先生にお借りした
「山田耕筰の文献」があるの~~
この
山田耕筰の書いた文献によると
この曼珠沙華(ひがんばな)の
歌い方に関して
次のような注意書きがあるの。
(いよいよ…よ~~っ)
「泣きむせびながら、ゆれ下がるように」
「自ら怯えているように震えて歌う」
「きわめて悲痛に」
「一節ごとに悲しみを加え、
痛みを増したように」
「全く泣き叫ぶように」
そして最後に
「緊張から突き放されたように、
悲しく、とぼとぼと…」
となっているわ。
むせび泣きながら
怯え
震えながら
泣き叫ぶ…
なんて……
どんだけ
悲しい曲なのさっ
『GONSHANは死んでしまった子の墓に、
忌まわしい曼珠沙華を折りに来ます。
でもどんなに折っても
曼珠沙華が次から次へと開いていくように
GONSHANの心に刻まれた
「あの子を死なせてしまった」という深い傷は、
また再び傷口を開いて悔恨と涙の血を流すのです。』