喰う男。 [■本/雑誌/新聞 & 映画]
Casualty in the war of the killer tomatoes / ralphunden
フランスの古生物学者は、10万年前のネアンデルタール人が
カニバリズムをしていたことを発見している。
事実…2021年だけでもカニバリズムの実話は数件確認されていると言う…。
* * * * * *
あたしゃ…思い出しちゃったね~!?
フランスはパリの香りぷんぷんの
あの事件を!!
もぅもぅ…むらむらしちゃって…
キーボードに置いた手が震えてるっ
どうして
これを忘れていたのっ!?
もぉ~~っあたしったら!!
あぁ…
ごめんなさい…
興奮しちゃって…ふふぅ
それこそ…
佐川一政による
『パリ人肉事件』だったのよ~~っ
…ここからは
猟奇的表現が含まれますので
遠慮なくスルーなさいませ…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
猟奇事件と言えば…
あたしも
『定という女』で
阿部定を書いているんだけど
1981年にフランスパリに
留学していた日本人留学生が
オランダ人の女性を殺害して
遺体を食べるって事件があったの~~っ
それが…
佐川一政(当時32歳 )だったわ…
佐川一政 さがわいっせい
生誕:1949年6月11日 日本 :兵庫県神戸市
出身校:聖ミカエル学園から神奈川県立鎌倉高
等学校を経て和光大学人文学部文学科卒業、関
西学院大学大学院英文学専攻修士課程修了、パ
リ第3大学大学院修士課程修了。
1981年(昭和56年)の時点では身長 152cm体
重35kg。
祖父は朝日新聞論説委員であり、父は
伊藤忠商事からの出向により栗田工業
社長を務めた佐川明。叔父は、歌手・
俳優の佐川満男 。職業:小説家、翻訳
家日本の殺人犯、小説家。パリ人肉事
件の犯人として知られる。
事件の詳細
1977年(昭和52年)からフランスに留学し、1
980年(昭和55年)、修士課程修了。引き続き
同大学に在籍していた1981年(昭和56年)6月
11日オランダ人女性留学生(ルネ-ハルテヴェル
ト:当時25歳)を自宅に呼び出し彼女を背後か
らカービン銃で撃って殺害した。
佐川は衣服を脱がせ屍姦した
あと遺体の一部を生のまま食
べ、また遺体を解体し写真を
撮影して遺体の一部をフライ
パンなどで調理して食べた。
このあと三日間に渡って
遺体を食べ続けるんだけど…
三日目の6月13日には残った遺体を
スーツケースに収めて
ブローニュの森の池に捨てようとした
ところを目撃され逃亡したらしい~
それも超目立ったんですって…ぷっ
で…目撃者が遺体を発見し警察に通報して
2日後に逮捕されてる~
だけど…
じきに釈放されるの…。
それは…
佐川は犯行を全面的に認めたんだけど
公判では「 極度の心神喪失状態であった」
ってことが認められて
不起訴処分→無罪となったらしいわ~
ただし…ここは…佐川の父の雇った
「フランスでもっとも高名で、
かつ金のかかる弁護士」
と呼ばれた
フィリップ・ルメールの
働きがあったんですって!!
さて…
帰国後の佐川がどうしたか…と言うと
こちらに詳しいわ~(Wikipediaより)
1984年(昭和59年)日本に帰国した佐川は東
京都立松沢病院に入院した。同病院での診察
では、佐川は刑事責任を問われるべきである
としたが、フランス警察が不起訴処分になった
者の捜査資料を引き渡す事はできないとして
拒否した。
同院を15ヶ月で退院した佐川は、マスコミに
有名人として扱われ、小説家になったが、日
本の病院と警察がそろって刑事責任を追及す
べきという方針であったのに、フランス警察
の方針 によりそれが不可能になったことから、
社会的制裁を受けるべきだという世論が起き
た 。両親もこの事件の結果、父親は会社を退
職することになり、母親は神経症の病気を患っ
たという。
社会復帰後、猟奇犯罪の理解者としてマスコ
ミの寵児となり、忙しい時は月刊誌や夕刊紙
など4紙誌に連載を持っていた 。印税収入だ
けで100 万円に達した月があった他、講演や
トークショーにも出演して稼いでいた 。また
1本30万円のギャラでアダルトビデオに出演し
ていたこともある 。
しかし間もなくほとんどの仕事が途絶え、生
活に困って闇金に手を出すようになる。
2005年(平成17年)母が死去。当時、佐川は
闇金の取立てに追われて千葉県に逃げていた
ため両親の死に目に会えず、社葬という理由
で葬儀にも出席を断られた。その後、親の遺
産で借金などを返し、2005年(平成17年)4
月に公団住宅に転居 。
過去には500通ほどの履歴書を書き、会社回り
をしたものの、ことごとく採用を拒否されて
いるという 。一度だけ「本名で応募してくる
根性が気に入った」と採用する会社もあった
が、職員たちの反対を受けて不採用となる 。
小説を執筆しているが、どこの出版社からも
取り上げられないと語っている。
また、佐川は『霧の中』を書き、また唐十郎
と の書簡集である『佐川くんからの手紙』 は
、唐に芥川賞をもたらした。
そうそう…
佐川にまつわるエピソードは
こんなものもあるらしいわ~
ザ・ローリング・ストーンズ が佐川のパリ
事件を歌にしている。
1983年(昭和58年)の12 インチシングル
「Too Much Blood」がそれである(12インチ
シングルとしては日本では未発売)事件発
覚時にミック・ジャガーはパリに滞在して
おり、ニュースの全容を知り、ショックを
受け、本作を書き下ろしたのだった。ジャ
ケットはジャガーの驚愕の表情で、あたか
もホラー映画の一場面のように恐ろしい映
像である。
佐川の家の冷蔵庫には……
ルネの唇
左乳房
腿の一部
左右の尻肉がまだ保存されており
ほどよく冷えていた。
フライパンには
調理済みの肉が残っていた。
警察は
「ほかの部分はどうした?」と訊ねた。
「食べてしまいました」
ひどく冷静に
そう答えたと言う…
恵まれたために
許されてしまう…
許されたために
冒してしまう
『喰う男』
佐川一政とは
一体………。
■ ■ ■
佐川一政 人を食った男 1/2 - Interview with a Cannibal Part 1
「彼女が美味しそうだったから」日本人留学生がパリで起こした人喰い事件