紫の履歴書【ヨイトマケに寄す】Ⅱ [■POPULAR MUSIC]
Akihiro Miwa singing
今も聞こえるヨイトマケの唄
今も聞こえるあの子守歌
工事現場のひるやすみ
たばこふかして目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
* * * * * *
『紫の履歴書』では
《幼少期其の一》《幼少期其の二》に続いて
《青年期 其の一 <中学校時代>》に
初めて恋について触れられているの
nostalgic school corridor /
Nao Iizuka
丸山明宏/ヨイトマケの唄 (1965.7) ◎レコード音源
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《青年期 其の一 <中学校時代>》
中学校の開校記念日に当時中学1年生だった丸山
は弦楽四重奏の伴奏で一人で歌うことになった。
数曲を歌うと上級生達から野次が飛ぶ。頭の中が
くるくる廻る思いで舞台を降りて控え室に入ると
ある上級生から「3年生のLさんがちょっと体育
館まで来いってさ」と呼び出しを受ける。そして
恐る恐る会いにいくとLは思いのほか優しく「お
前、俺の弟にならんか?」と言い、すかさず丸山
も「はい」と答える。そして次の日からLと一緒
に登下校するようになった。Lは自分の下宿に招
いて毎日丸山に画集や詩、小説などありとあらゆ
る本を渡して中学1年の丸山にも分かるようにい
ろいろ話して教え聞かせた。そしてそれは同時に
丸山にとって「恋の巡礼の灯が点された。」こと
を意味したのであった。
boy. / barbasia.
《青年期 其の二 <国立音校時代>》
学校の音楽部員全員で泳ぎにいったとき、以前か
ら憧れていたアポロに偶然会う.アポロも丸山を
見るなり太陽も月も星も一度に輝きだしたかと思
ったほどの晴れやかな微笑の光を丸山に当てる。
丸山は初めて自分の方から恋をした。結局Lとは
卒業と同時に別れを迎える。
やがて丸山は東京の国立音校へ
入学するので上京することにな
り、アポロも送りに来ていた。
そして丸山は約束をする。「僕
が、きっと東京で何とかなって
一緒に暮らせるような態勢にな
ったら、アポロを呼んであげる
からね。きっと約束する」と…。
Paris 17e, Lacaille - Legendre /
Frédéric Glorieux
《青年期 其の三 <国立音校時代 2>》
上京して間もなく「日劇ミュージックホール」で
初舞台を踏むことになり、早速報告がてらにアポ
返し彼からすぐ一緒に生活するため上京するとの
返事が来る。
そこで丸山は困ってしまう。実は既にMという青
年と交際していたから。Mに了解をとりアポロに
打ち明けて詫びるから彼が上京してからの1週間は、
Mが寝泊りすることを許してほしいと言う。そし
て 1週間がたったある日丸山から切り出した。「
あなたはちゃんとしたお家の長男なんだから、お
嫁さんを貰って跡取もこさえなきゃいけない義務
もあるんだし、良い思い出ができたところでお別
れしよう。」するとアポロは予期していたかのよ
うに「そう、君はその方がいいんだね。そういう
んなら仕方がない。じゃあ、僕も長崎へ帰ること
にしよう」と柔らかな微笑で受け止めてくれた。
そして3ヵ月後、アポロから結婚するという手紙
と招待状が届く。
Feeling True /
《青年期 其の四 <学校をやめて上京>》
音楽学校が夏休みの時に「美少年募集」の広告を
目にして銀座のある店に行く。アルバイトを申し
出るとマスターは面白いから来てくれと言う。試
験がはねた翌日から通い始める。
そこは美少年のハーレムだった。お客も役人や事
業家などの男の客か、女社長、たまに新宿あたり
の女装の男娼達がやってくる。毎日学校から帰る
とお店にでかける。そうこうしているうちに冬休
みになり長崎に帰郷する。久しぶりに会った弟た
ちは汚く粗末な服を着て痩せこけていた。
腹立ちまぎれに座敷にいる父親
のところへ行き「学校、やめた
よ」と告げると父親は怒って「
お前んごたる者は出て行け!親
でもなければ子でもなか、さっ
さと出て行け!」と言うと丸山
も「ええ、出て行きますとも!」
と言って家を出たのであった。
"Divan japonais" d'H. de
Toulouse-Lautrec (Grand
Palais, Paris) / dalbera
《青年期 其の五 <流転の日々>》
啖呵きって家をでて東京に来たものの、丸山には
何のあてもなかった。東京行きの列車の中で知り
合った学生の家に居候したのをはじめ、住み込み
のポン引き、アクセサリー屋、学校時代の友人の
家を転々としながらのその日暮らしの生活が続く。
どこへいってもその美貌ゆえにドラブルに巻き
込まれてしまう。 「美貌?フン、くそくらえだ!
迷惑がられているのも知らず、べたべたと抱きつ
き、ぶら下がってくる自分の美貌が恐ろしいほど
憎い。美しさのゆえに仕事を得、また失う」 嵐
の中で行くあてのない中で一人歩きながら中学時
代に読んだ言葉を思い出していた。 「心に太陽
を、唇に歌を持て」シャンソンの「バラ色の人生
」を思い出し歌いながら心に念じる。「必ず僕に
もバラ色の人生はやって来るのだ。エディット・
ピアフだってみてみろ、もっとひどいどん底生活
活を這いずり回ってスターになったのではないか。
」そう思うと勇気が湧きまた一段と嵐の夜の道一
杯に声高く歌って進む。そのとき前からトラック
が来る。よけようとする間もなく、大波のような
泥水を頭から浴びせられそのハネは口や目の中へ
入ってしまう。「バラ色の人生」を歌っている口
の中へ…。
《青年期 其の六 <銀巴里>》
喫茶店で無給でシェーカーを振っていた時に、X大学
の生徒がやってくる。「学校の喫茶店で橘かほるの夕
べというシャンソンの会を開くんだけど時間が余って
るんだ。君シャンソン歌えるんだって?どう、前座で
歌ってくれないか?」「うん、いいよ」と丸山は2つ
返事で引き受ける。その時に初めて橘かほるさんと知
り合い、それをきっかけに原孝太郎と東京六重奏団へ
の紹介状を書いてくれたのだった。
紹介状を持って早速銀巴里の原さんに渡すと「早い時
間はお客さんいないから、練習においで」と言ってく
れたのだった。
それから2,3年経って、キャバレーの成績
が思わしくなくシャンソン喫茶となって以
来、専属歌手となる。
(この頃銀巴里との専属契約を交わし歌手デビュ
ー。 国籍・年齢・性別不詳として売り出す。
次第に人気を博し、三島由紀夫 、吉行淳之介 、
野坂昭如、大江健三郎、中原淳一、遠藤周作、
寺山修司、なかにし礼等、文化人の支持を得
る。)
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その後…
「毛皮のマリー」の上演中に
三島由紀夫が楽屋に訪ねてきて
「黒蜥蜴」の依頼を
受けることになるようよ~
Golden Pear / brown cardnal
ここで…丸山明宏が何故
美輪明宏に改名したのか謎じゃない!?
まずは…丸山臣吾って生まれたときの名前も
東京に出て来た当時の音楽学校の先生が
姓名判断を勧めてくれて…
丸山明宏にかわったんですって
で…ある日…仏壇の前でお経をあげていた時に
ふと…「美輪」という文字が
浮かび上がってきたそうよ~~
さて…
美輪明宏の生い立ちは
少しだけわかった気がするけれど
恋については
……
自伝からなので
よくはわからなかったわね~!?
けどね…
ごく自然に
女を愛するように
男を愛したんだなぁって…
ちょっときゅ~んと来たの~~っ
やっぱり
丸山明宏は素晴らしいわ~~っ!!
(これを機に男装に戻って欲しい気もするけど…)
そしてヨイトマケ…
あたしもいつか歌ってみたい~~
ハートをぎゅぅってつかまれて
ぐらんぐらん揺さぶられるような…
そんな歌を……。
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Akihiro Miwa singing in "Warm Current" 1957