玉さま…どこへ行く [■習い事]
Shunko Osaka Print / sfbaywalk
2020年度に
NHKの大河ドラマで放映された
『麒麟がくる』…
今日はその『麒麟がくる』に出演していた
「玉さま」に注目してみようと思うの~~
* * * * * *
正親町天皇(おおぎまちてんのう)
って役で
高貴で美しい帝(みかど)を
演じた坂東玉三郎…。
Yahoo! JAPANニュースによると
出演が発表された当初、玉三郎は
「大河ドラマの映像の中に出演させていただくの
は初めてなので大変緊張しております。出演者
の皆様は映像に慣れている方々なので、その中
で私がどんな役作りができるのかということを
今考えている最中でございます。一生懸命務め
させていただきます」と、コメントを出してい
たが、制側も玉三郎の芝居を大河ドラマの映像
として残せる喜びはひとしお。
演出チームの大原拓氏は「玉三郎さんご自身の
存在感で帝を表現していただいています。シン
プルに美しいですし、説得力がある。玉三郎さ
んにしかできない表現をしていただいています。
視聴者も納得していただけるのではないかと思
います」と、手応えを語っている。
帝の微笑
ネットでも
坂東玉三郎の正親町天皇は
「神々しいほどの美しさ」
なぁんて言われて…
すっごく評判が良かったみたい…
さて…「玉さま」については
その私生活に於いていろいろと
言われているわ~
歌舞伎のことはあたしも過去に
書いてはいるけれど(歌さまは女形)
ネットを彷徨ううちに
過去の玉さまの
スキャンダラスな一面が見えてくるわ~
「芸人としてはいいけれど人としては
好きになれない坂東玉三郎…。
玉三郎の訴訟問題は
決着はついたのか!?」
(元弟子から『セクハラを受け、精神的苦痛を
強いられた』と2001年に損害賠償を求めて
訴えられた。当時13歳だったその弟子は、
添い寝を強要されたり
下半身を触られたという。)
と言う質問の答えに
どなたかが応えてらっしゃる~
『前略(玉三郎という人は)舞台で後輩や脇役の人
への細かい指示やダメ出しにより彼らに精神的な
ストレスを与えております。
あの人は永遠のソリストで、自分中心主義であり、
自己のための芸術表現者ですから、観ていれば分
かりますが、自分よりも芝居が下手な人や、無駄
に身長が高くて自分を小さく見せてくれる立役
(男役)さんを選んだりすることが多いのも事実。
後略』
ふぅ~ん…。
そぉ……。
まぁ…性格は悪そうかなぁ!?
Kabuki / sfbaywalk
歌さまとの確執も凄まじかったらしくて…。
そんな歌右衛門の前に現れたのが、玉三郎だ。かつては
歌右衛門のために新作歌舞伎を積極的に書き下ろすほ
どだった三島由紀夫が、この若くて美しい女形をひいきに
しはじめた。歌右衛門が支配していた「歌舞伎座」寵愛(
ちょうあい)が玉三郎へと移っていったのだ。
しかも、当時の歌右衛門は50代に入っており、芸こそ円熟
したものの容色は衰えつつあった。そこに、どこの馬の骨と
も分からない若女形が圧倒的な観客の人気に現れたので
ある。
そりゃ、面白くないだろう。歌右衛門が支配していた「歌舞
伎座」に玉三郎はなかなか出させてもらうことが出来なかっ
たとか玉三郎が何かの粗相をした時に歌右衛門に土下座
させられたとか……2人の女の争い、いや女形の争いはゴ
シップとして漏れ伝わってきた。
この2人の確執については、中川右介著『坂東玉三郎 立
女形への道』に詳しい。けれど、この本は、年老いた歌右
衛門が演じる揚巻よりも、若くて奇麗な玉三郎の方が役に
ふさわしく観客もそれを望んでいる……という論調である。
恐ろしいわぁ…。
かく言うあたしも
坂東の名取だけど
もともとは玉三郎も
坂東の門をくぐった
一人だったみたい…。
ここでちょっと玉三郎のプロフィールを見てみよう
坂東玉三郎 (5代目) - (Wikipediaより)
1950年4月 東京都に生まれる。生家は料亭。
1956年 小児麻痺後遺症のリハビリにと舞踊
を習う。舞踊の魅力にとりつかれ、また稽古
に通った縁から十四代目守田勘弥の部屋子と
なる。
1957年12月 東横ホールにて『菅原伝授手習
鑑・寺子屋』の小太郎で坂東喜の字を名のり
初舞台。
1964年6月 十四代目勘弥の芸養子(戸籍上
は1974年に養子縁組)となり、歌舞伎座にて
『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂
東玉三郎を襲名。
1969年3月 聖学院高等学校卒業。
本人はこんな風に言っているわ~
『私は、歌舞伎の家族に生まれたわけではあり
ません。が、実の両親が歌舞音曲に理解が深
く、私がその道で生きていくことに大きな喜
びを感じ、私がその修行をしていけるように
最大の努力をしてくれました。
幸いにも養父、十四代目守田勘弥の弟子とし
て身近に修行することができ、後に私が14
歳のときに五代目坂東玉三郎という芸名をも
らい養子として迎え入れられたのです。
そのときの父の言葉を、私はいまでもよく覚
えております。
「きょうからは専門家になるのだからいままで
のような稽古のやり方ではなく、とても厳し
いものになるよ」
その言葉を聞いたときから、私は一生この道
で生きていこうと覚悟を決めたのです。
あっ…そう…。
美しい話よ~~っ
けど…けどね……。
素晴らしい賞をいただいたり
大河ドラマに出演したら
人間的にはどうでもいいの!?
もっと
つつしまやかで
奢らずには生きていけないものなの!?
それよりも
なによりも
芸はどうなの!?
所作事は決して上手とは
思えないんだけど…
お首は行き過ぎてるし…
ずいぶん前の
歌舞伎座の「鏡獅子」
ぜったい…
毛が通常の毛じゃなかったよね!?
玉さま…
なにをしたいのか!?
玉さまは
どこへ行こうとしているの!?
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「鏡獅子」2/3 坂東 玉三郎